ホースの使いどころ

旅の道すがら米原万里さんのエッセー集、『パンツの面目ふんどしの沽券』の文庫版を読んでいた。

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

これには主に東欧人の下着、肌着や生理現象事情の解説がちらちらと載っているのですが、第二章「よい子の四つのお約束」の一番最後の部分に目を引かれました。

妹の間借りしていた家の中学生ぐらいの娘さんが、ある日、合宿から帰って来るなり、
「ねえ、ママ、○○ちゃんて、どうしようもなく不潔なのよ。あたし一緒の部屋なのが、気持ち悪かった」
と憤慨やるかたないという風情で母親に言いつけていた。
「だって、最低1日1回もビデを使わないのよ!」
(p.31)

この部分と、ここから繋がる締めを見て中央アジアへと旅行した時の事が思い出されました。
彼の国ではトイレットペーパーという物は観光客用に一巻きずつ売られている物で、宿でもよほどのホテルにならないと備え付けのペーパーがありません。

では何があるかというと、水洗トイレの給水管から簡易弁付のホースがニョッキリと生えているのです。

さすがはインド仏教の流れを汲むお国柄。
ホースでもってちゃぷちゃぷと洗うんでしょう。
でもタオルも無いし(備え付けがあっても困るけど)、石鹸もない。
結局人類最古の知恵を借りることなく一巻200円はしそうなトイレット“お”ペーパー様のお力を借りたのでした。

そしてそこから思い浮かぶに旅の途中で泊まった宿の女将の顔。
私の部屋の水洗トイレに備え付けられたホースの口に、ほこりが溜まっている様を見て、滞在した2日間、ただの一度も尻を洗わない不潔な客だったと思われたことだろうなと思い当たるのでした。
きっと使用済みのシーツも手袋無しでは触る事をしなかったでしょう。

これに懲りて日本人の客の宿泊を禁じたかもしれません。
もしそうであったなら後の旅人に大変申し訳ないことをしたと思います。

隣にあるモスクで熱心な人たちが踊り狂う騒音はあれど、女将が料理した魚の煮込みは絶品だったからです。